だらだらミトン通信

アメリカ生活の記録、主に病気関係

面談後から

面談で二人の先生に息子のシャットダウン、フリーズを指摘されて、カウンセラーにも面談を申し込んだ翌週、お礼がてら息子の履歴をメールにて長々としたためた。

 

下手くそな英語ですいません!と思いつつ、とりあえず、勢いよく。

 

そしたら、息子入学前までいた日本人の先生からカウンセラーから話を聞きましたと電話が。

なのでこれまた説明し、とりあえず教科の先生には理解と配慮をできたらお願いしたいと連絡。

 

日本人の先生にも去年出した、脳神経科の先生からの手紙や息子の診断書などをメールで送付。またもしつこいくらいに長く困り感を伝えた。

 

モンペかもと思いつつ、、、

 

そしたらカウンセラーの先生から、学区のスペシャルサービスデパートメントに息子の監察を認める文章にサインして出すように、また教科担当にもより一層の理解を求めるように指導しますとの連絡がありました。

 

どう変わるのか分からないけれど、これからは少しだけ息子が安心して過ごせるようになるかと思います。

 

面談後カウンセラーに会ってみて良かった。

久々。面談で

ミドルの面談でした。

 

インターネットから予約して各教科担任と5分から10分くらい。

主要四教科しか今回は予約しませんでした。

 

まあ、どの先生からも勉強はしっかりしてるけどサイレントだと言われました。

 

まずは算数。得意だし、一学年上のもやらせてくださいって。

 

理科もサイレントだがちゃんとグループワークもしてるって。

 

英語の先生からはシャットダウンします。と言われる。

なので息子はASDと日本で診断されて渡米後小学校の時に医者と学校に相談したけど大丈夫と何もされませんでした。

感情のコントロールが難しいのでそういう時は時間とスペースをくださいとお願いする。英語の先生はカウンセラーに伝えておくねって。でも、今日のグループワークでなんか揉めた時に後ろから見てた息子がフォローに入ったって。

 

その後の社会の先生からも最近はそうでもないけど、最初の頃はおーい、おまえにきいてるんだけど、応えないのか?と言っても無視、反応なしと。

こっち生まれではないし、文化の問題もあるとは思うとは言われたが、慣れるまで時間かかってすいません。でも、社会は好きなんですと伝える。

 

とりあえず、以前に脳波検査した時のドクターには一筆、感情のコントロールが難しい時があります。と書いてもらったのを事務室に出し、オフィスの人は辛くなったらオフィスに来てね。と本人に言ってたけど、教科担任には伝わっていないのか、面談後こりゃやばいと、家に帰り日本で診断された時の精神科医に書いてもらった英文の診断書をコピーして再び学校へ。

 

カウンセラー(クラスがないので何かあった時に相談する担当の人)に予約してないけど面談可能か聞くとドロップインもできるとのこと。

良かった。

 

面談終えカウンセラーと話す必要を感じたと伝えました。

すると去年の英語の先生からもシャットダウンについては相談を受けていたと。

 

自閉度によっては小さいクラスの方がいい子もいるけど、普通のクラスにいる子もいるし、

成績は問題ないから、サポートチームが必要かまた教科担任に聞いたりしますというようなことを言われました。

小学校より親身というか、専門家(と言っても心理士資格とかではないだろうが)だからか話はスムーズ。

 

小学校でも相談したけど勉強はできるし、ただリスペクトしてないだけと言われることもあったがそれは本意ではないこと、小学校では泣くことも多かったけど、ミドルでは泣いてはいないのでよくはなっている。アイコンタクトの重要性は伝えたけれど、文化の違いもあるだろうけど苦手だとは思うと伝えました。

そしたら、アンコンフォータブルなのね、分かると同意してもらって救われた。

 

とりあえず、泣いてはいないし、グループワークも以前よりは参加しているようなので進歩進歩。

 

またカウンセラーにお礼がてら連絡でもとろうと思います。

 

 

アメリカの多様性と学校

アメリカの学校に行かせるようになって驚いたことの1つに一人一人に合わせた教育がある。

 

学校にボランティアに行くと廊下で担任でない先生と勉強している子がいたり、図書館でリテラシーの先生と本を読んでいる子などがいる。もちろんうちの子供たちのように第一言語が英語ではない子達のためにはESLクラスもあるし、ESLの先生とは別に外国語を理解する先生もいる。日本人だけでなく、うちの学校区に多いアラブ系の先生もいる。息子はテストの度に日本人の先生に通訳してもらっていた。

また身体に不自由がある子なら補助の先生がほぼつきっきりで面倒を見てくれる。

余程不自由だと学区の重点校に行かねばならないが自分たちの家の近くの学校に行けるなんて。

 

子供たちに合わせて日本の学校とは比べ物にならないほど補助の先生がいることに驚いた。

そして、それがズルイことではなく普通なこととして行われている。

 

取り出されて勉強している子は多くは勉強のフォローが多い感じはするが、先生が授業中に呼び出しみんなと別のことをするのは別に普通。

上の娘の時も娘と同じにキンダーを二回する子もいたし、またできるから取り出しの子もいる。算数飛び級の試験を受けて算数だけ上のクラスで受ける子もいる。

 

去年、真ん中の先生は算数だけでなくリーディングの成績も悪くないし、落ち着いているし、全部飛び級もありだと思うと校長先生と相談したようだ。

年度末に行われるマススキッピングテストを受けて、合格しなかったけれども担任と校長との話し合いで算数は飛び級することに。

今年は本当に算数が得意な子と2人一学年上のクラスに授業に行っている。それも別に普通のことで、上のクラスの子も受け入れてくれている。

 

アメリカの学校はゆるいと思うことも多いけれど、個人に合わせて勉強を教えてくれるのはありがたい。日本だったらできる子は物足りなく、できない子は置いてきぼりになってしまうこともありそうだ。

掛け算で引っかかってその後の勉強ができないから中学の先生が小学校に掛け算は絶対身につけてさせてくださいときたことがあるという話を日本の時に幼稚園で一緒だった方から聞いた。

 

つい最近知った単語でIEPというのがある。

Individual education programs 、個人的教育プログラム。日本でも発達障害者支援法などもできたが発達障害あるなしに関わらずアメリカでは困っていそうな子には手を差し伸べてくれる。

 

うちの息子みたいなある程度勉強はできるが困ってる子に関しては手薄になりがちな気もしなくはないけれど、アメリカってすごいな。と感心することのひとつだ。人種や宗教などの多様性に基づいて教育にも多様性が認められやすいのだろうか。

 

アメリカに来て、アメリカのほうが生きやすいという子も多いのはスナックの時間があるだけだけではないと思う。

 

 

チーム初得点だけどー以外な視点

息子の野球。

息子がフォアボールで塁に出て、盗塁で三塁まで進み、最後にチームメイトのヒットでへホームに帰った。

これがチームの初得点なのでみんながハイタッチを求めてくる。

 

それをなんか嬉しくないような感じで投げやりに反応してるように見えたので、試合後みんな初得点を喜んでくれてるんだしさぁ。と言ったら、息子はだって僕が初得点でいいのかなぁって。思っていたって。

 

わたしにはない感覚でびっくりしました。

ひとそれぞれいろんな考え方があるんだなぁと分かってはいるものの、新鮮な感覚でした。

日米の少年野球 その2 リトルリーグに出戻り

昨年はトラベルチームに所属していましたが、週末はもちろん平日の試合も多く補習校に通えない、妹たちの勉強にも支障が出る、私が運転に疲れたこともありトラベルチームはやめてもらい今年はまたリトルリーグ(地区のリクリエーションチーム)にしました。

 

U12の今年は全米の野球少年のお祭りのような大会がニューヨーク州クーパーズタウンとい小さな街であり、野球好きな子には大切な年なのですが、それも連れて行く自信がなくて。

 

息子も野球は好きだけど、練習は嫌いだしという感じだし、年間20万かけて、兄弟を犠牲にするほどでもないかなと。妹は旅行に行けるし、チームメイトの下の子たちと遊べるからお兄ちゃんには野球続けて欲しいと言われたけれど。

 

息子も(私が怖いから⁈)文句もないし、暖かくなりリトルリーグが始まって、12歳は10歳か12歳のリーグと12歳から15歳のリーグが選べるので上の学年のにしたらそれなりに充実して楽しんでるようです。

 

去年のコーチにはまた入らないかと言われたけれど、もし人数が足りない時は連絡下さいとお願いしました。

 

とりあえず、春と秋は野球で冬はバスケで体を動かしてもらえたらと思ってます。

 

 

労働許可をとってみようかと

ダンナの会社のビザで滞在を認められているものの、労働許可、EAD(Employment Authorization Document)を得ないとダンナの会社以外では働けない。

 

働きたいわけではないけれど、訳あって労働許可のための資料を出してみました。

 

訳は犬も食わない夫婦喧嘩。

私のお金でないからフラストレーションが溜まるんだ!とその夜、他の方のホームページを参考にシコシコと資料を作成。

 

移民局のホームページ (https://www.uscis.gov/i-765-addresses ) へ行くと、申請方法がくわしくかいてあり、ビザステイタスなどを選びフォームに情報を入れていくだけ、それをプリントアウトして、指示通りの資料(パスポート、ビザのコピー、パスポートサイズの写真など)を揃えて、カバーレターも紙の順番も指示通りに重ねてサインしてそれを保存用にスキャンしてコピーをとり、手数料分の小切手(当時410ドル)とともにファーストクラスメールなどで送ればオッケー。

 

翌朝発送。

思い立ったらすぐに行動、とめられない。

 

うちは日本人夫婦で結婚証明書はないので、戸籍謄本とその英訳(免許を取得したときに旦那が自分で訳したもののコピー)を送りました。

 

移民局から受領のテキストが来て、レシートがすぐ郵送されました。

ここまではスムーズに進みましたが、それからが長ーーい。

 

長いとは知ってはいたが、怒りも冷めた約3ヶ月半経って許可されましたという手紙が来ました。

 

カードは別で送られて来るとのこと。

移民局に行かねばならないのかと思っていたのですが、行かなくても良いっぽい。

 

せっかくだしなんか仕事見つけてみようかなぁ。3時間くらいからお気軽な仕事ないだろうか。10年以上働いてないし、英語できないし難しいかな。しかも学校休みの時は休みたいし。学校での仕事が一番いいんだけど。給食のおばさんとか?

 

矯正歯科はじめました

アメリカだからやりたいこととして歯の矯正がある。知り合いのお母さまでもやってる方はいるし、子供はとても多い。

 

うちは真ん中は反対交互で日本にいる時は小さいからとマウスピース型の矯正をしていた。

家にいるときは付けるようにと言われたが、小さいから嫌がってほとんどしてなかったけれど。最初に三万円で作るとあとはただで見てくれるのでとても良かったが、こちらにすることになったので放置。しかも歯が抜け替わりその型はもう合わない。

 

こちらにきて、歯の検査をしてもらうときに真ん中ももちろんだけど息子も歯ぎしりや出っ歯が気になると矯正歯科を紹介してもらった。

 

乳歯がなくなってからの方が早く終わるとそこで言われ待つこと約3年、息子は矯正開始できますとなった。

 

しかしもうアメリカ生活も折り返し。

見積もりはもらったものの2年の月賦の見積もりで途中で帰国になった時はどうなのか不安だった。

 

あと一年はいるけど分からないとのダンナの判断を元に帰ることもあると相談に行くと、アメリカ歯科学会に所属する世界中の歯科医のディクショナリーを出してもらってここに載ってる人たちなら紹介できるし、うちと同じ技術者でやりますからとのこと。ぱっと見たところ日本の都道府県を網羅していたし、大都市は何件も載っていた。不安だったがそれなら帰国が決まってもなんとか続けられるかと息子だけやることに。真ん中も憧れてるので羨ましがっていたがまだまだ待たねばならないようだ。

 

医者のグローブの香りや針金の色を選べたりなんだか楽しそう。ケアの仕方も教わりとりあえず上の歯だけはじまりました。息子はブルーの針金を選んでいました。

 

待合室にはゲームにビデオにソフトクリームマシーンまで置いています。

息子の隣は終わった子で矯正中は無理だったチューインガムなどのお菓子と風船に細々としたグッズをもらっていました。

顧客も多いだろうが争奪戦も激しいのだろうか。

 

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 フローズンヨーグルト食べ放題!

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息子はオレンジ派、真ん中はグレープ派